大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1311号 判決 1963年5月14日
控訴人(被告) 国・大阪府知事
被控訴人(原告) 井上とも
主文
原判決第一、二、四項を取消す。
被控訴人の控訴人国に対する土地所有権確認の請求、及び控訴人大阪府知事に対する買収処分無効確認の請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも、これを被控訴人の負担とする。
事実
控訴人等代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、
被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、被控訴代理人において、事実関係につき、
一、本件買収当時、布施市には足代一丁目、二丁目、三丁目、足代北一丁目、二丁目なる町名はあつたが、東足代なる町名はなかつたのであるから、調査をすれば、町名変更のあつたこと及び被控訴人の住所が改称後の長堂二丁目六〇番地であることが容易に判明した筈である。従つて、控訴人大阪府知事が、かゝる調査を怠つた結果、被控訴人の住所を探し当てることができず、被控訴人に買収令書を交付し得なかつたとしても、これを以て自創法第九条第一項但書の「令書の交付をすることができないとき」に該当するものとはいえない。それゆえ公告は要件を欠き違法であつて、令書の交付はなかつたことになる。なお、被控訴人の住所として登記簿上記載されていた東足代七〇一番地なる土地が、実在していたか否かは不明である。
二、昭和三六年一一月二八日に改めて買収令書が被控訴人に交付されたことは認めるが、右令書の交付は、買収期日昭和二二年三月三一日から一四年七ケ月余を経過した後の事柄であつて、処分庁が何の理由もなく長年月に亘り手続を放置した後に令書交付をして手続を完結することは違法の程度の甚だしいもので無効であるから、この令書交付を以てさきになされた令書交付に代る公告の瑕疵を治癒することはできない。
三、本件土地を小作人と称して占有していた訴外木田源治郎は不法占有者である。被控訴人が本件土地を買入れた目的は、同人が経営していたセルロイド加工製造販売業のための工場用地とするためで、農耕のためではなく、その土地も直ちに宅地となし得る状況で買入当時は売主田中菊松自身が耕作しており、小作地でなく、その後被控訴人は何人にも耕作を許さず、杭を打ち針金で囲み立入不能としていたものである。右木田と被控訴人との間には、何等小作契約のなされた形跡がなく、小作契約の内容も明確でない(農地法第二五条参照)。本件買収、売渡は調査規則に基いて耕作者が自創法の規定する小作契約に基く小作人であることを調査した上これを為すべきに拘らず、不法占有者を小作人と認めて手続を進めたものであるから、すべて無効である。
と述べた。
(証拠省略)
控訴人等代理人において、事実関係につき、
一、本件被控訴人住所地の町名変更は、内務省直属当時の大阪府知事が許可したものであり、農地買収は、国の機関から独立した地方自治団体の首長としての大阪府知事が国から委任を受けて行つたものであるから、両者は性格を異にし、その事項の所管も、町名変更は府の総務部地方課、農地買収は農地部農地課であつて、事務系統の極度に分立した現今の行政機構においては、ある部局の担当者が他の部局の所管事項の全部を知ることは不能であり、知事も全知全能者でない以上、町名地番の変更を知り得なかつたとしても、自己の職務行為を無視否定したことにはならない。農地開放が連合軍の命令により急速、広範に実施せざるを得なかつた事情より見ても、十年以上前の町名変更を知らず公簿上記載に依つたことは、重大な瑕疵とはいえない。当時の状況と行政庁の機構からすると、本件買収においては、令書交付に代えて公告をすることが、その際やむを得ない唯一最善の措置であつた。
二、控訴人大阪府知事は昭和三六年一一月二八日被控訴人に対して本件買収についての買収令書を交付した。それで、さきの買収手続に瑕疵があつたとしても、右令書交付により補正されて適法有効となり、本件買収の効果は買収時期たる昭和二二年三月三一日に遡つて発生しているものである。
三、本件土地を耕作していた木田源治郎は、小作料を現物で納めているがこれは食糧難のため被控訴人から要求されたもので、弱い立場の小作人としてはやむを得なかつたものであり、仮りに右が小作料でないとしても謝礼であつて、右耕作は被控訴人が許諾していたものである。
と述べ
(証拠省略)
たほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
原審において訴却下となつた被控訴人の控訴人大阪府知事に対する土地所有権確認、売渡処分の無効確認、控訴人国に対する買収処分無効確認、売渡処分無効確認、抹消登記請求については、当審において不服の対象となつていないから、控訴人大阪府知事に対する買収処分無効確認、控訴人国に対する土地所有権確認の各請求についてのみ判断する。
先ず、被控訴人主張の手続上の瑕疵としての買収令書の交付に代る公告の違法なりや否やにつき審按するに、本件買収についての令書交付に代る公告が昭和二三年九月二五日付大阪府公報によつてなされたことは成立に争のない乙第一号証によつて明らかであるところ、右公告手続を採つた理由として、控訴人等に、当時被控訴人の住所が布施市長堂二丁目六〇番地(町名変更あつたもの)であつたことを知らず、登記簿上表示された同市大字東足代七〇一番地なる記載に基き、その該当地を探し求めたが見当らず、送達不能の処理をしたものであつて、右の東足代七〇一番地なる旧地番自体存在しなかつた旨主張する。そして成立に争のない甲第三号証によると、被控訴人の右当時の住所同市長堂二丁目六〇番地は、同市東足代七〇六番地の二が昭和一二年中に町名地番の変更されたものであることが認められ、東足代七〇一番地は別の土地であることが一応推測されるけれども、他面、成立に争のない甲第一号証、第九号証の一、二によれば右旧地番東足代七〇一番地は被控訴人と同居中の夫井上常吉の住所として普通郵便の配達が為されており、のみならず、新地番長堂二丁目六〇番地もすでに昭和一六年五月中に右同人の住所として郵便宛先として活用されていることが明らかで、控訴人等の右主張理由は到底正当な送達不能理由として是認することを得ず、右は甚だしく疎漏な調査を推測させるに充分であつて、公告手続採用の要件として欠くるところがあることは明らかである。しかしながら、大阪府知事は昭和三六年一一月二八日本件買収についての買収令書を被控訴人に交付したことは当事者間に争がなく、右令書交付は本件買収処分の相手方に対する告知手続を補正する趣旨でなされたものであることは、成立に争のない乙第六号証に徴して充分推測せられるところであつて、右の令書交付は本件買収期日として当事者間に争のない昭和二二年三月三一日より一四年七ケ月以上を経過した後ではあるが、本件買収についてはその告知方法の一種として例外的に認められていた公告手続が買収期日より約一年半の後に行われていて、全然告知手続がなかつた場合ではなく、ただ右の例外的手続を採用したことについて法定の要件を欠き、瑕疵が存した場合に外ならないから、右の瑕疵を補正するために改めて原則的告知方法を採り、手続の一部の不備を追完することは、相当年月を経た後といえども許容せられるものと解することができる(昭和三六年三月三日最高裁判所第二小法廷判決参照)。
よつて本件買収処分の告知は右補正により完全となり、買収計画所定の買収の効力を生じたものというべきであつて、右手続の瑕疵を理由とする買収無効は容認することができない。また、本件買収令書が買収期日以後に発行されたことも、買収を無効ならしめる理由となるものではないから、右理由による買収無効の主張も失当である。さらに、本件買収計画の承認は、買収期日前たる昭和二二年三月二九日になされていることは成立に争のない乙第四、五号証により明らかで、右承認自体につき違法が存することは、被控訴人においてこれを具体的に主張立証するところがないから、右理由による無効も亦認められず、買収令書の内容が買収計画と著しく相違する点も、被控訴人において具体的に指摘、立証しないから、右理由による無効も認め難い。
よつて次に買収処分の内容についての無効原因につき判断を進める。本件買収土地が小作地でないとの点について見るに、証人木田源治郎の証言に被控訴人本人尋問の結果の一部を綜合すると、本件土地は被控訴人買入当時より田及び畑であつたところ、昭和一六年頃訴外水西佐吉がその原因は明らかでないが、これを耕作しており、その後を承けて訴外木田源治郎が右の頃より耕作を始め、昭和二一年頃まで耕作を継続してその収穫した野菜等を被控訴人の許へ持参したことがあり、被控訴人はその夫井上常吉が昭和一九年死亡した以前の事情は熟知せぬままに、右木田の使用を黙視していたこと、木田は他の土地をも耕作していた専業農家であつて、その使用はいわゆる休閑地利用菜園等の程度を超え、本件土地の少くとも三分の二は水田として通常の農耕に使用していたことを認めることができ、明確な小作契約の存在は認めることはできないが(右認定に反する証人木田源治郎の証言部分は措信せず)、農耕地として黙認による使用貸借関係の存在していたことは充分推知することができる。右認定に反する被控訴人本人尋問の結果は措信せず、証人鶯地一隆の証言(原審、当審)その他被控訴人の全立証を以てしても右認定を左右し得ない。そうすると、右の土地を小作地として買収したことは、その瑕疵は少くとも明白であるとはいえないから、本件土地が小作地でないことを理由とする無効の主張も、これを容認することができない。さらにまた、自創法第五条第五号による除外地たるべきことを理由とする無効原因について見るに、本件土地を被控訴人が入手した当時(成立に争のない甲第五、六号証によれば昭和一〇年中)本件土地が田及び畑地であつたことは前認定の通りであり、証人木田源治郎、鳥飼勲の証言、被控訴人本人尋問の結果と検証の結果を綜合すると、右土地はその後間もなく耕地整理がなされ、完了後柵を設けて他と区画していたが、格別地盛をすることなく、出入も可能で、戦時下農耕地の不足時代に入つて耕作が再開され、前認定の通り訴外木田が水田等として耕作を続け、昭和二一、二年当時は小作地と解釈されていたこと、右の頃は本件土地の沿うた道路の東側の一部と北側のみ人家があつたが、これを越えた向側は農地、西側と南側も農地であつたことが認められ、これに終戦直後のこの附近の土地の早急宅地化の傾向が何等認められない事実を参酌すると、本件土地が自創法第五条五号の買収除外地たるべきであつたとはいい難く、被控訴人の全立証を以てしても右認定は覆すに由がないから、右理由による無効も認める訳にはいかない。最後に買収対価の不当を理由とすることも、直接に買収無効原因とすることはできないから、この理由による無効の主張も採用できない。
そうすると、結局被控訴人主張の買収無効原因はすべて認められず、従つて本件土地の所有権は右買収によりすでに被控訴人の許を離れたことは明らかであるから、所有権確認の請求も亦理由がない。
よつて、原判決中被控訴人の請求を認容した部分は失当であるから、これを取消し、右請求を棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 岡垣久晃 宮川種一郎 大野千里)